諸苦の解決 2
生死の解決
生死の解決は一切人の究極の課題です。生物新化の進んだ段階では死に対する関心が増すが、約7万年前のネアンデルタールの埋葬跡と思われるものが発見され十万年前のホモ・サピエンスの埋葬跡のが発見されているが死に照らされ生があります。
自分も死ぬ者であることを自覚して初めて「生き方」を問い「真の生への道」を求め「睡生夢死」から「覚醒生死」の覚道修証が始まります。覚醒は自他一切縁起ですから心身界自他一切の同道同行同成同願の自未得度先度他の菩薩行になります。
幼少にして母の荼毘の煙を見て道元は出家し「生を明らめ死を明むるは仏家一大事の因縁なり」と言い中国に真の師を求め坐禅により心身脱落をして無手還郷、「普勧坐禅儀」を著わして只管打坐を勧め修証一等と述べて覚道を世に広めました。
世の苦を見ないようにとの配慮から都城内に匿われていたゴータマがある時門を出て老人を見別の門を出て病人を見、更に別の門を出て死人を見、最後に修行者を見て出家し苦行修行の末に坐禅で覚者となり菩薩となって一切と共に行道しました。
四門出遊の話は生者は老病死を得る者であることを知り、その問題・苦を解決する為に自ら修行して苦楽中道の坐禅三昧を修行して涅槃(無風、業の)を覚証して業三毒貪瞋痴により一切苦があることを覚醒し、普遍法縁起で諸問題を解きました。
縁起(因縁生起)は1. 五感覚器官と五感覚対象の接触による意識・世界の生起を機縁として2. 無明(涅槃無覚証)による輪廻と3. 渇愛による苦の生起を纏めた十二支縁起(生成/生存の輪:輪廻)が有名ですが、同趣旨因果律より複雑・多岐です。
覚道の理論・実践は縁起によって貫かれていますから「縁起を見る者は法を見るとも仏を見る」と言われる様に縁起が判れば四聖諦八聖道など諸法も三学四禅等の諸道も理解・実践でき生死の諸問題・苦に対する解決も誰もが出来るのです。
道元曰く「仏道を習ふというは自己を習ふなり。自己を習ふというは自己を忘るるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の心身他己の心身をして脱落せしむるなり。」「放てば手にみてり。」
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